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Column de saison

カフェ・ド・フロールの日本人ギャルソン(2)

「カフェはフランスの文化がすべて詰まっている、いわば文化的財産だと思っています。それでも、フロールのような昔ながらのカフェは皆無に近い。フロールは 歩合制という給与体制を貫き、ギャルソンは自分のテーブルで勝負しています。ギャルソンたちは1世紀以上もフロールのエスプリを守り、そこの「ギャルソン」を演じる一流の役者でもあります。」(※1)

 

カフェ・ド・フロールのギャルソンの収入は、自分が受け持つテーブルでの飲食代の15%とチップのみ。現在フランスでは、こうした歩合制の給与体系を続けているカフェはほとんどないそうです。固定給のないフロールのギャルソンは、まさしく身一つで勝負しています。1日10時間以上テーブルのあいだを舞うように所狭しと動き続ける体力、客の要求を素早く察知し、行動につなげる判断力、会話で客を楽しませる知性。あらゆる能力を兼ね備えていなければ、フロールのギャルソンは務まらないと言えるでしょう。

 

山下さんは一日で50〜150組を給仕します。タバコを吸う客に対しては、テーブルのどの位置に灰皿を置くべきかを瞬時に判断し、1日の仕事を終えた時にも、その日のお客からの注文はすべて憶えているそうです。「すべてを見て、すべてを記憶し、すべてを見破り、あることを推測するが、それについては黙して語らず」と山下さんはギャルソンの極意を表現します(※2)。

 

あるとき、「あそこに座っている女性にこの本を渡して欲しい」と、フランス語を流暢に話すアメリカ人紳士から、自らの著書と一緒に20ユーロ札を手渡されたそうです。この映画のようなエピソードはギャルソンの仕事の深さを物語っていないでしょうか。お客さんとの個人的な信頼関係を積み上げるだけでなく、それを横にも広げ、人と人とのあいだを取り持っていくのです。

 

パリの街では何をするにしても人間同士のコミュニケーションが不可欠です。客の側から見れば、単にカフェに入るとしてもギャルソンに微笑み、何か一声かけることを要求されます。

 

一方、日本にはそういう「パリのカフェ」的なコミュニケーションを意識せずに済むシステムが張り巡らされています。人間の介在を可能な限り排除し、消費者の欲望を即物的に満たそうとするシステムです。レンタルショップ、コンビニ、ファミレス。様々な自動販売機。広い駐車場を備えた郊外型の店舗。そこに人間が介在するにしても、店員は極端に儀礼化された言葉使いと態度で客と接し、私たちも彼らの人格を無視するようにふるまっています。現代の利便性は、濃密な人間関係を介さない自動的かつ儀礼的なシステムに媒介されることを意味し、私たちはそれに安易に身をゆだねています。

 

山下さんの立ち振る舞いは、今の日本の消費者に対するサービスと対極にあるものとして思い出さずにいられません。とはいえ、パリでも「ギャルソンに微笑み、何か一声かける」という習慣は失われつつあり、人間関係を最小化したアメリカ発のセルフサービス文化にとってかわられようとしています。そんな中、フロール唯一の外国人ギャルソンとしてフランスの文化的財産を外から見つめながら、それを意識的に継承しようとしている姿がとても興味深いのです。

 

※1「パリを愛し、パリに愛されるギャルソン」in 『ニュースダイジェスト』参照
※2’Waiting with Distinction’ in 『Highlighting JAPAN』を参照

le 13 juin 2014
cyberbloom

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