7月14日は、フランス革命の始まりとなり、絶対王政の象徴であったバスティーユ監獄の陥落を告げた日を記念するために制定されたフランスの国民の祝日です。1790年にバスティーユ監獄の陥落一周年に行われた la fête de la Fédération(武装市民団祭=連盟祭)がもとになり、毎年行われるようになりました。フランスでの正式名称は La fête nationale française あるいはそのまま le « 14 Juillet » と呼ばれます。
日本では「パリ祭」と呼ばれることが多いですが、これは1933年にルネ・クレールの “le quatorze juillet” という映画に由来しています。この映画が日本で封切られる際、「革命記念日」では日本人にはピンと来ないと考えた輸入元の東宝東和が、『巴里祭』と名づけたのでした。英語ではバスティーユ牢獄の襲撃にフォーカスして ’Bastille Day’ と呼びます。英語やフランス語ではフランス革命を想起させる言葉ですが、日本語では革命というよりお洒落なフランスのお祭りというような印象を与えています。これは日本のフランスに対する願望を色濃く反映しているのでしょう。とりわけ日本では7月14日にシャンソンのコンサートを開くのが恒例となってきました。
毎年この日には、フランスのすべての地方自治体で、三色旗の元に結集する国家を象徴して華々しく軍事パレードが行われます。文化国フランスというイメージを持っているとこの光景にはいささかギョッとしますが、フランス革命とそれに続く恐怖政治は血塗られた歴史でもあるのです。7月14日は、フランスが誇るミラージュ戦闘機の飛行から始まり、戦闘機から出る煙が三色旗を表現します。そしてシャンゼリゼ大通りでは、凱旋門からコンコルド広場まで約2キロにわたり延々と軍隊のパレードが展開します。
近年においては、フランスの同盟国の要人を招待することが慣例となっています。去年の初め、イスラム過激派の勢力の拡大に危険を感じたアフリカのマリ政府がフランスに政府に軍事介入を要請し、オランド大統領は派兵を決定しました。マリ暫定政府軍を支援する形で、各武装勢力の拠点に対してミラージュ2000などで空爆を開始。地上軍も展開しました。軍事パレードはその出来事を反映し、7月14日のパレードの隊列にはマリ政府軍兵士や、去年7月から同地域で活動を始めた国連PKO「国連マリ多元統合安定化(MINUSMA)」部隊も加わることになりました。
また東日本大震災のあった2011年は、毎年、東京のフランス大使公邸で行われている「パリ祭」(フランス革命記念日祝賀パーティー)を被災地である福島県で開催し、当時のフレデリック・ミッテラン仏文化相も出席しました。もちろん通常、フランス政府の閣僚は革命記念日には国内にとどまります。大使公邸外でパリ祭が行われるのは初めてで、閣僚が海外に赴くのも異例のことでした。
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