今回はラ・クポールについてお話します。ラ・クポールは1920年代の「狂乱の時代」Les années follesのモンパルナスでのナイト・ライフを今に伝えるブラッスリーです。
リップの元オーナー、マルセラン・カーズと同様にオーベルニュ出身である、エルネスト・フロと彼の義弟ルネ・ラフォンが開いたラ・クポールは800メートル平米もあり、当時パリで最も広いブラッスリーでした。さらに屋外レストランのラ・ペルゴラ La Pergola のある2階部分と、タンゴやジャズのあらゆる大御所たちが姿を見せることになる Le Dancing と呼ばれる地下部分もあり、地下12メートルに埋め込まれ、高さ5メートルにもなる32本の支柱で支えられていました。これらの支柱はアール・デコ風に装飾されています。
そのオープニング・パーティーは1927年12月20日に盛大に行われ、2500人の招待客に1500本のムム Mumm のシャンパンが振舞われました。招待客の中には、コクトー Cocteau、藤田 Foujita、キースリング Kisling といった日本でもおなじみの芸術家たちもいました。このイベントは今日でも、モンパルナスの輝きが絶頂だった時代の象徴として語り継がれています。
モンパルナスは、ル・ドーム Le Dôme ラ・ロトンド La Rotonde ル・セレクト Le Select といったブラッスリーもあり、作家や芸術家たちの出会いの場となっていました。スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウエイといった「失われた世代」のアメリカの作家たちが、地中海沿岸やバルカン半島の独裁政治を逃れてきた亡命者たちと集っていたのです。1930年代パリで『回帰線』シリーズを書いたヘンリー・ミラーはヴァヴァン・ラスパイユ・モンパルナスを含むこの地区を「世界の臍」le nombril du monde と呼びました。
さらにモンパルナスには、後に「エコール・ド・パリ」と呼ばれる画家たちも集っています。リトアニア出身のスーティン、イタリア出身のモディリアニ、ロシア出身のシャガールなどが有名ですが、シャガールは1984年ラ・クポールで彼の最後の誕生日をお祝いをしています。
カミュ、ボーボワール、サルトルといった作家も常連だったラ・クポールは、リップ同様政治家たちも常連で、「政府はリップで作られ、ラ・クポールで解体する」 «Les gouvernements se font chez Lipp et se défont à la Coupole » とまで言われました。
第二次世界大戦中のドイツによる占領によってモンパルナスの黄金時代は終焉し、連合軍によるパリ解放とともにサンジェルマン・デ・プレがボヘミアンたちの新たな聖地となっていきます。今やラ・クポールにはかつての綺羅星のような作家や芸術家たちはいないものの、今も当時の内装はそのままで、伝統的な格好をしたインド人が、あの子羊のカレーを給仕してくれます。
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